ゆっくり休んで、また明日。

知らない誰かのちょっとした言動にもやっとした時、自分の心にゆとりがなくなってることに気づく。

それがまったく自分に向けられた悪意じゃないとしても。

人は、というのは主語を大きくしすぎだろうか。

少なくとも僕は、日によって、時間によって、相手によって、心の器の大きさが全然違うものになる。

自分が元気で満ち足りている時、僕は全ての人や物を受け入れられる気がする。

なんでも愛せるように思う。

自分が疲れて満たされない時、僕は全ての人や物が受け入れられない気がする。

なんでも憎らしく思える。

誰しもみんなそうなのだろうか?

僕だけが未熟なのだろうか?

そもそも未熟だからそうなのだろうか?

成熟とは何か。

自分っていつまでも成長しないなと感じることもある。

自分って随分変わったなと感じることもある。

自分らしさに迷うことも、そんな迷いこそが自分らしく感じられるときもある。

なかなか答えは出ないけど、今日の答えが明日も同じとは限らない。

ゆとりのある大人になりたいけど、大人だからゆとりがあるのか、ゆとりがあるから大人なのかは、よくわからない。

わからないまま生きてるし、わからないから生きている。

とりあえず、今日は少し疲れたみたい。

ゆっくり休んで、また明日。