だから頑張って生きよう。

自分の自意識過剰さに、嫌気がさすときがある。

家族、友人、同僚ならまだしも、道ですれ違う人、同じ電車に乗ってる人からすら、「自分が今どう思われてるか」を気にしてしまう。

気にしすぎてしまう。

なんでこうなってしまったのか、自分でも皆目見当がつかない。

何か原因があるとしても、そのせいにすればどうにかなるというものでもないんだろう。

そんなことを自覚しはじめたころから、何かに夢中になるのが難しくなった。

周りの目を気にするようになってから、夢中になれたことはもしかしたら無いのかもしれない。

一所懸命とか、無我夢中とかは、目標にした時点でそうはなれないんだろうなと思う。

本当に一所懸命な人は、「今の俺、一所懸命だな〜」とか思わないんだろう。

あとになって振り返ったときに、「あの時は一所懸命だったな」と思うものなんだろう。

去年の自分は何かに夢中だったかな?

5年前の自分は何かに一所懸命だったかな?

10年前は?

20年前は?

「できない」を「できる」にしたくて必死だったあの頃のことは、恥ずかしくて思い出したくない。

でも、そういう恥ずかしさを言い訳にして頑張らなくなった自分の方が、今は恥ずかしいと思う。

だからもう、恥ずかしくてもダサくても、誰になんと言われようとも、自分のやりたいようにやろう。

どんな風に思われたって、自分が好きな自分になりたいから。

だから頑張って生きよう。

みんなも今、幸せであってほしいと思う。

数年ぶりに会う友達と、ご飯を食べ、お酒を飲み、歌をうたう。

みんなの変わったところに笑い、みんなの変わらないところに笑う。

あの頃みたいにくだらないことも、一丁前に大人ぶったことも、話してみたりする。

お互いの現在地を探り合っているような、手札を覗き合っているような気分。

不思議と嫌な気分にならないのは、そんなことを気にし合うような仲じゃないからか。

自分はみんなより“まし”だと思ったからか。

誰かと何かを比べるような生き方はやめたい。

幸せは自分の基準で決めたい。

燻ってるアイツを見て安心するような大人になりたくなかった。

自分は今、幸せで。

みんなも今、幸せであってほしいと思う。

 

好きにしろ、なんとかなる。

 

やり直したい過去は無いけど

謝れたら良いな

過ぎ去ったものは戻らないけど

今日を生きる私の銀河

 

ANTENNA / Mrs. GREEN APPLE

 

 

 

小さな後悔、大きな後悔、何度もある。

その度にやり直したくなる。

思い出す度に過去に戻りたいと思う。

でも、それらの後悔が、やり直したい過去が、今の自分に繋がってるんだろうから。

今を捨ててまでやり直したい過去は無い。

後悔も失敗もするから僕なのだ。

僕が僕であるために必要な過去だ。

まだ全部愛せるほど強くはないけど、もし謝れるなら許してはあげたい。

周りの目なんか気にしてないで、自分のために言葉を残したい。

どっちにしたって恥ずかしいのだから。

どうせ僕だ。

好きにしろ、なんとかなる。